2007年07月11日
ショッピング@渋谷
やっぱショッピングは渋谷ですね。
いつも行く渋谷についてちょっと調べてみました。
吾妻鏡などの歴史書に、平安時代末期から鎌倉時代に掛けて、この付近を本拠としていた武将渋谷氏の活動の記録が残されており、その一族に河内源氏の源義朝の近従だった渋谷金王丸がいる。
江戸時代には大山街道(現在の国道246号にほぼ一致)沿いの集落として栄えた。
明治時代になると1885年(明治17年)に山手線が開通し、その都心よりに東京市電(1911年)が、西側に玉川電鉄(現・東急田園都市線、1907年)が接続したことから、交通の結節点として発展していく事となった。以後も1927年(昭和2年)に東横電鉄(現・東京急行電鉄)東横線、1933年(昭和8年)に帝都電鉄(現、京王電鉄井の頭線)、1938年(昭和13年)に東京高速鉄道(現、東京地下鉄銀座線)と次々に新線が開通し、ますますその地位を高めていく事になる。
その中でも注目すべき事は、五島慶太の率いる東横が1934年(昭和9年)にターミナルとなる渋谷駅にデパート(現・東急百貨店東横店)を小林一三率いる大阪の阪急の梅田駅の手法に倣って設けたことで、関東では東武浅草駅の松屋(1931年)に続いて2番目、全国でも3番目となるものであったが、それまで鉄道で渋谷に来た後に銀座・上野方面へ市電やバスで向かっていた客が渋谷で買い物をするようになり、成功を収めた。戦後になると渋谷は1954年(昭和29年)に東急会館、1956年(昭和31年)に東急文化会館が設けられ、「東急の街」として発展していく事になった。
だが、渋谷が現在の地位を手にすることになるのは昭和40年代以降で、そのきっかけは西武系列の西武百貨店が1968年(昭和43年)に渋谷へ進出した事によるものである。以後、東急と西武による開発競争が始まる事になり、西武系の「パルコ」・「ロフト」、東急系の「109」・「東急ハンズ」・「Bunkamura」などが次々進出していき、西武は坂にスペイン坂、区役所通りにおいて渋谷公園通りなどといった名前をつけ、現在の街並みが形作られていくこととなった。
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